2013年07月02日

甘寧

【史実】


若い頃は粗暴な振る舞いをしており、名の知られた賊だった。

後に荊州の劉表を頼ったが、配下として迎えられなかった。
その劉表の配下である黄祖の所にも行ったが、一般の食客として扱われ、以後冷遇される。
それでも、劉表と対立する孫権軍との戦いで、黄祖配下の将として、孫権配下の凌操を射殺する功績を立てる。
しかし、待遇は一向に改善されず、ついには蘇飛の助けを借り、黄祖の下を去り、孫権配下となる。


孫権の将となってからは、かつて自分を冷遇していた黄祖を打ち破り、その際捕らえられた蘇飛の助命を願い出て、恩を返している。
その後は、曹操戦、劉備戦でも活躍し、曹操からは、自軍の張遼と同格であるとの高い評価を得ている。


孫権の下で全てが順調だったわけではなく、かつて射殺した凌操の子の、凌統とは長い間険悪であった。
また、呂蒙ともトラブルを起こしている。


演義では、凌統との和解エピソードが描かれている。
その最期は、下痢で体調が芳しくないところに、劉備軍の沙摩柯に襲われて戦死とされている。
避けようとして振り上げた腕が枝に引っかかった不運もあった、との事だが、実はいくつかの歴史書で死に関しての記述が異なり、戦死か病死かも不明で、没年も定かではない。












三國志1 甘寧ステータス.jpg



【三國志1】


191年に、41国で登場する。

‘ぶりょく’94の猛将。
50を下回る能力が1つもない名将。
史実通り、前線での活躍が期待できる。

本プレイでは、41国を領地にしていたら、191年1月に自動的に配下に加わった。

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posted by 芸美有 at 21:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | 武将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
甘寧強いですよね。
その後の作品では知力が70前後になる時もしばしば。
顔絵は最近のシリーズでは無双に近いイラストになっちゃいますが、それまではずっとこの系統でしたね
Posted by ナギ at 2013年07月02日 23:28
甘寧は正史にその服装の記述があって、賊時代にかなりカブいてたらしいです。
それでその独特の帽子イラストなんですよね。
Posted by 芸美有 at 2013年07月03日 21:59
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