2013年07月31日

李豊

【史実】


袁術配下の将。

曹操が袁術の討伐に来た際、袁術は淮南に1人で逃げた。
その際に置き去りにされた武将の1人で、曹操に抗戦するも、敗死した。


演義においては、それより早く、呂布戦で出番があり、敗れた事になっている。
結末は同じく曹操と戦っての敗死。





三國志1 李豊.jpg



【三國志1】


史実通りシナリオ1で袁術の配下として登場する。

‘しんたい’が高いだけのゴミ武将。

袁術を滅ぼした際に配下にした。
空白地を埋める役割を与える程度の存在か。



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posted by 芸美有 at 23:59 | Comment(0) | 武将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2013年07月29日

陳紀

【史実】


袁術配下の将として登場する。

孫策が袁術に身を寄せていた頃、九江太守にすると袁術は約束したものの、それを破って陳紀を太守にした。
正史にはこの記述以外登場しないらしい。


演義では、徐州の呂布討伐戦に参加し、陳宮軍に敗北。

さらに曹操が侵略してきた際には、城を守りきれず敗北し、斬首された。





三國志1 陳紀.jpg



【三國志1】


史実通り袁術配下として登場。

‘しんたい’と‘うんせい’だけは良いが後はゴミ。
呂公よりも使えない。

本プレイでは袁術を滅亡させた際に捕らえて配下にした。


posted by 芸美有 at 19:29 | Comment(0) | 武将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2013年07月27日

張勲

【史実】



袁術の配下武将として登場する。

袁術が皇帝を名乗った際、見限らずにそのまま配下として仕え続けた。
徐州に居る呂布に攻撃を仕掛けたものの、陳珪の離間の策に嵌り、大敗する。

その後、今度は陳国の劉寵を攻め、これを滅亡させる事に成功。

曹操が袁術を攻めて来た際、袁術に他の武将と共に置き去りにされる。
ことごとく打ち負かされ、武将が敗死していく中、なんとか張勲は袁術の下に逃げ帰る事に成功した。


袁術の死後、孫策を頼って逃亡しようとするが、袁術配下から曹操軍に鞍替えした劉勲に捕らえられ、歴史から姿を消した。












三國志1 張勲.jpg



【三國志1】



史実通り袁術配下で登場。

‘しんたい’‘かりすま’‘うん’の値が高いが、‘ちりょく’が17という馬鹿者である。

本プレイでは、袁術を攻め滅ぼした際に捕らえて配下にした。


posted by 芸美有 at 17:33 | Comment(0) | 武将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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